もうすぐ独立記念日

新しい大統領を決める選挙が終わり、町の中に国旗が目立つなぁと思っていたら、来月は8月。独立記念日がやってきます。
TVでは朝からオランダの植民地時代をドラマ化したのがやってたりします。
これから町はどんどん国旗に埋まって至る所で学生の行進に出くわすようになる…道路が渋滞するので外出がますますおっくうになります。

独立記念日が華やかなのは他国の植民地になっていたここの人たちが独立した国を持つことができたので当然ですが日本人にとっての8月とは印象が随分違うので毎年戸惑います。

 


ところで、ここバリ島は何年ぐらいオランダの植民地だったのでしょうか?

今インドネシアと呼ばれる地域は300年オランダの植民地支配を受けたと歴史にはあるんですが、実際オランダがバリを支配した期間はそれより短かったのです。

手元にある昔のガイドブックの年表を見ると…

 

オランダのバリ島支配が始まったのは1830年頃、シガラジャから。
バリ島全土が支配されたのは1908年。最期に支配されたのがクルンクン。

オランダに変わって日本軍が支配したのが1942年から。
独立は1945年。

有名なウォルター・シュピースがウブドに来たのが1930年頃。
植民地だった時に来ていたことになるんですよね。

で、日本も第二次世界大戦でオランダに変わってここを支配していました。
だから島のいろんな所に建つ独立記念碑にはこれは日本軍人かな?と思われる浮き彫りがあったりします。

ガイドブックによっては、日本軍の支配がなかったらインドネシアの独立はなかった、というような事を書いています。
私が以前持っていたのにはそんな記述がありました。
日本がオランダの植民地支配を追い払ってあげたみたいな…そう感じてしまう記述。

日本人だったらそう信じたいと思うところなんですけど、実際には日本軍の支配の時代はオランダの植民地時代よりひどかったという話がほとんどです。
しかも、学校でそう習ったとかじゃなくておじいさんから聞いたとかなので、かなり真実に近いと思われます…残念だけど。

全体として見ると侵略だったのだろうけど、個人として見ると完全にそうでもないところもあり、三浦譲や独立戦争で戦った残留日本兵がその例として挙げられると思います。
でも私のまわりのバリ人のほとんどはそんな日本人のことは知りません。知っている方が珍しいくらいです。


バティックの模様にはオランダ植民地時代の様子を描いたものがあります。カンパニー柄と呼ばれるもの。

船や飛行機、軍人などが描かれています。

 

ヨーロッパの壁紙みたいなブーケを描いたバティックもその時代に出てきたもの。ブーケタンと呼ばれます。
手持ちのバティックで良い例がなかったのでこれはBatik Designという洋書から引用です。

 

 

日本軍の支配があった時代の特徴あるバティックもあります。
ホーコーカイと呼ばれるもの。
漢字にすると奉公会だそうです。 奉公…ってねー。
バティックの本にはパギソレ式のバティックがそれに当たると書いてあります。
こちらが同じ洋書からの例。
カイン・パンジャンの中ほどで斜めに境があって左右違う模様になっているので巻き始めを変えることで2種の異なる柄を楽しむことができるというもの。

日本人の嗜好に合わせて着物柄も取り入れられたとか。
今残ってるのは扇子模様ぐらいかな?
扇子模様のバティックは手元にあるのですが、はっきりと日本の影響という風には見えません。

パギソレ式のバティックも私には日本っぽくは見えないんですが。

和風なバティックというのももしあればまたいつかご紹介してみたいと思います。

バリ島検索のバリケン
バリ島検索のバリケン